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勲章なき国民的英雄

7月8日(月)

勲章なき国民的英雄/競泳・古橋広之進

 今から60年前の52年ヘルシンキ大会、日本中の期待を背負って出場した「フジヤマのトビウオ」古橋広之進氏は、競泳400メートル自由形で8位に終わった。世界記録を33回更新し、戦後復興のシンボルとなった国民的ヒーローは、結局五輪のメダルを1つも手にすることなく現役を退いた。

 50年の南米遠征でかかったアメーバ赤痢の影響もあった。45日間で20試合、サーカスのような転戦。各国の日系人から歓迎され、水泳ニッポンの「顔」は休むことも許されなかった。その後も体調は戻らず、52年の選考会は得意の1500メートルを回避し、400メートルも3位での代表入りだった。

 古橋氏とともに戦後の水泳界を引っ張った橋爪四郎氏(83)は「ヒロさん(古橋)にメダルをとらせたかった」と話す。悔やむのは800メートルリレー。アンカーで米国に逆転され、2位に終わった。橋爪氏は「なぜヒロさんを使わなかったのか。200メートルなら泳げた。金メダルがとれた」。もちろん、エース起用案もあった。藤田明監督は五輪後の水連機関誌で「好調時の古橋ならアンカーを任せて勝てただろう。400メートル自由形予選で判断した」と苦しい決断を振り返った。

 日本選手団主将として国民の期待に応えられなかった古橋氏は、責任を感じていた。帰国のバスに全員が乗り込んでも、1人だけ部屋に閉じこもった。「やるだけやったんだ、帰ろう、と30分ぐらい説得した」と橋爪氏。盟友を気遣った同氏は、1500メートルで獲得した銀メダルを1度も表に出さなかったという。

 その後、古橋氏は競泳チーム主務、コーチ、監督、さらに日本選手団団長や国際水連役員として、08年北京まで五輪にかかわった。戦後、日本が参加した14大会すべてに参加したのは、同氏だけだ。48年ロンドン大会は出場が認められず、52年大会は結果を残せなかった。五輪に恵まれなかったからこそ、古橋氏はその後の人生を五輪にささげたのかもしれない。

~日刊スポーツより抜粋~

コーチが教えた選手に「タカシ」がいるが…彼が尊敬する人は古橋さんです。
どうですか?タカシ、古橋さんという方はこんなんだったのですよ。

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